シリーズ「日本人の品格」(第4回)



戦勝国による敗戦国への締めつけは、勝者の意のままになってしまうのが、悲しいかな現実です。


「勝てば官軍負ければ賊軍」

敗戦国への扱いについての国際的な取り決めなどは有名無実と化し、アメリカのなすがままに、日本と日本人は今日まで自虐精神を抱えたまま生きてきたのです。


罪意識扶植計画の概要

アメリカは「太平洋戦争史」という宣伝文書を、新聞・雑誌・放送などあらゆるマスメディアを使って日本人に徹底的に植えつけました。

日本軍国主義者と一般国民との対立という虚構の図式を創りあげて、日米戦争の責任のすべてを日本側に転嫁したのです。

満州事変から終戦までに日本軍がアジアの国々で行ったとされる残虐行為を、あることないことをでっち上げて、これでもかこれでもかと繰り返し宣伝しました。

最初のうちは半信半疑でしたが、やがては「本当に悪いのはアメリカではなくて、日本の軍国主義者なのだ」と、従順な多くの日本人は思い込むようになったのです。

日本各地への無差別空襲攻撃も原爆投下も、すべては軍国主義が悪でアメリカに非はないのだ、と信じるようになったのです。厳しい言論統制のもとでは、異を唱えることすらできません。

「太平洋戦争史」はまた、学校の教科書としても使われました。
日本は悪い国、日本は侵略国家、戦争に行った日本人はみんな悪人、祖国愛は悪ーーという考えを強く生徒たちに押しつけたのです。

アメリカに少しでも批判的な教師たちは全員追放されて、残ったのは左翼的な教員ばかりでした。人として当然あるべき「教育勅語」も廃止されました。国旗掲揚・国歌斉唱も無視されました。

日本人の民族の心を消滅させたという意味では、この「罪意識扶植計画」はまさに「精神的大虐殺」と言っても過言ではありません。

アメリカにとって都合の悪い日本人は全員、職場から追放されました。その数20万人とも30万人とも言われています。

最初は見せかけでアメリカの言いなりになっていたのが、生き延びるためにやがては「罪意識扶植計画」について何の疑問も持つことさえしなくなり、ついにはアメリカによって捏造された「太平洋戦争史」こそが「歴史的真実」だと実に多くの日本人が確信するにいたったのです。

広島の平和記念公園にある原爆慰霊碑の碑銘「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから

「罪意識扶植計画」の成果、ここに極まれり。まるで私たちが過ちを犯したかのように読めますね。

*写真は再掲。昨年の大みそかに当村で行われた「演芸大会」の一コマ。





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