シリーズ「日本人の品格」(第1回)



日本はあくまで日本らしく、日本人はあくまで日本人らしく。
他国にひざまずく必要はありません。外国人のマネをする必要もありません。日本は日本独自の、日本人は日本人独自の「特異な国・特異な民族」のままでいいのです。日本という国そして日本人であることに、私たちはもっと自信と誇りをもつべきです。

明治・大正の時代に多くの外国人が「日本見聞録」を記しています。ごく少数を除いて、ほとんどの外国人は当時の日本と日本人を心から賛美していました。

代表的な二人の外国人の日本評をここにご紹介します。

*ポール・クローデル(1868年~1955年)
フランスの外交官・詩人・劇作家。1921年~1927年まで駐日大使。

私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。
あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にありません。
日本の近代における発展、それは大変目覚ましいけれども私にとっては不思議ではありません。
日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのです。
どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はありません。しかし、日本にはその資格があるのです。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。
彼らは貧しい。しかし、高貴である。
(外交官を退官した後、1943年の講演より)

*ラフカディオ・ハーン(1850年~1904年)
ギリシャ生まれ。紀行文作家・小説家。1896年、日本に帰化。日本人の妻をめとり、「小泉八雲」に改名。著作の中でも「怪談」は有名。

日本人はこれだけ素晴らしい文化と伝統を持っていながら、ヨーロッパに追いつき追い越そうとするあまりに欧米人の合理的な心も一緒に輸入しようとしている。
器用な日本人は、彼らが作り出す製品は、近い将来欧米をはるかにしのぐ製品を生み出すようになるだろう。だが、そうなった時にはもう日本人は日本人ではなく、日本人によく似た西洋人になってしまっていることだろう。
そして、そうなった時に日本人は初めてかつて自分の町内の角に必ず立っていた石仏の何とも言えないかすかなほほえみに気づくだろう。実はそのほほえみは、かつての彼らの、彼ら自身のほほえみなのだ。
(1894年:「日本人の微笑み」より)

では、次からあれやこれやと考えてまいります。

*写真はすでに閉鎖した別ブログのものを再掲。倒木も村の子供たちの遊び道具です。

コメント

このブログの人気の投稿

新・人の暮らし(4)・フィリピンの洗濯事情

〈新・CEBU ものがたり〉新・人の暮らし(1)・洋服の寸法直し

新・人の暮らし(5)・盆踊り (Japanese Summer Festival)