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フィリピンの言語 (Languages in the Philippines)

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通りすがりの若者。「Picture !  Picture !」とせがまれたので、ハイッ、パチリ! フィリピンの公用語はフィリピノ語と英語です。 7100強の島々からなるフィリピン群島には種々の民族・文化・言語が混在しています。タガログ語とビサヤ語が現地語の代表格です。 フィリピノ語は、100以上もあるフィリピンの現地語の共通言語ともいえるタガログ語の正式名称です。2千2百万人くらいの話者がいるそうです。一方のビサヤ語は千5百万人くらいといわれています。 フィリピノ語は主に首都・マニラがあるルソン島を中心に広く話されています。ビサヤ語は、ルソン島から南下した中部ビサヤ諸島一帯で用いられています。セブ島もビサヤ諸島の一つです。 日本の関西地方の言葉を「関西弁」と呼ぶように、ビサヤ諸島の言葉を指して「ビサヤ語」といいます。 一口にビサヤ語といっても、各島々で微妙に違います。つづり字も異なります。意思疎通にはなんら問題はありませんが、セブ島では厳密には「セブアノ語」という人が多いです。日本の関西地方でも、大阪と京都では違いますよね。 フィリピノ語とビサヤ語は完全に別言語です。 ビサヤ地方の人びとは、小学校から国語の授業でフィリピノ語を学んでいますから理解することはできますが、フィリピノ語圏の人たちにとってはビサヤ語はチンプンカンプンです。ビサヤ諸島の人が例えばマニラに商用で出張したときなどは、英語かフィリピノ語を話さざるを得ません。 I will give you some brief guidance about languages in the Philippines. The official languages here are Filipino and English. The Philippines with 7,100-odd islands has a large variety of people, cultures, and languages.  Of more than 100 local languages, Filipino and Visaya are major provincial ones. The capital in the Philippines is Manila in Luzon, where

シリーズ「日本人の品格」(終章)

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セブ市にある日本食材店の「町屋マート」の外観。日本人ばかりでなく、欧米人もよく買い物にきています。ありとあらゆる日本の食材が手に入ります。興味のある方はインターネットでご覧になってみてください。 「アルジャジーラ」というテレビ局があります。本社は中東のカタールの首都、ドーハ。世界中のニュースを24時間流しています。 世界の国々のニュースをみていると、スマートホンが地球のすみずみにまで浸透していることに、今さらながらビックリします。 世界の実に多くの人びとが情報を共有することができるのです。 しかしその反面、世界は徐々に均質化・均一化の方向に向かっているともいえます。 あっちの国でこんなことがあった、面白そうだからやってみよう。こっちの国では反政府デモで大統領が辞任した、じゃあ俺たちもデモをやって今の腐敗した政府を倒そう。あの国のあの服はなかなかいいな、マネをしてみようーーーー。 グローバリゼーション(国際化・世界標準化)とはよくいったものです。たとえば英語がますます「世界語」になりつつあり、どの国にも同じような文化が拡散しています。 日本では小学校から英語の授業を採り入れました。何のために?英語を「ベンキョウ」して将来の「国際人」を育てるために。どうしてこのような短絡的な結論を出すのでしょうかね。「恐れ入り屋の鬼子母神」 世界に通用する日本人を育成するためには、日本語と日本の文化を子供のころから徹底的に教えこむことです。外国語はそのあとでいい。 経済の問題にしてもグローバル化というお題目の下で、世界はドンドン合理化・効率化に突き進んで行くことでしょう。これはこれで理解はできます。人間の欲望には際限がありませんから。しかし、「腹八分目」にとどめないと危険です。 一例をあげます。イノベーション(技術革新)・テクノロジー(科学技術)が私たちの想像をはるかに超えて既存の産業を世界中で破壊しつつあります。 富は一極に集中されて低所得者や失業者が増大する。カネがない人ばかりで物も買えない。消費は激減し、産業も立ち行かなくなる 。ひいては金持ち企業もやがては先細りになってしまう。大げさに聞こえるかもしれませんが、生存競争の始まりです。 チョット余談。仮想通貨に興じている人たちの顔の表情は、日本人・外国人を問わず、ほとんど全員がまるでロボットのように思え

シリーズ「日本人の品格」(第6回)

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本来の 日本と日本人を取りもどすために 日本人による「日本国憲法」の制定 日本は戦後から今日にいたるまでず~とアメリカの属国です。「アメリカ製」の憲法下で、自国の行く末を他国に委ねているのです。世界は日本を、真に一人前の国として見ているのでしょうか。 今のままでは、品性の「ひ」の字もない極悪非道のヤクザ者国家・中国から、「アメリカの妾の国」と揶揄嘲弄され続けなければならないのです。 日本人自身による「日本国憲法」の制定が、なんといっても、急務です。そして、誇りある「独立国」の日本人として歩んでいかなければなりません。 自分の国は自分で守る 自分の家庭・家族の安全を、他人に任せる人がいるでしょうか。国もまた同じことがいえます。日本は日本人の手で守る。当然のことです。 そのためには、やはり、相応の軍事力の保持が必要になります。イザという時に日本を守ってくれるのはアメリカでは決してありません。このことは厳として肝に銘じるべきです。日本は日本人以外、誰も守ってはくれません。 戦後のアメリカによる対日占領政策の全否定 日本人は自国ばかりでなく諸外国に対しても、なぜかくも卑屈になってしまったのでしょうか。アメリカによる洗脳教育を根本から見直して、正しい戦後史を私たち一人ひとりが、今からでも見つめ直さなければなりません。 他国、特に韓国・中国からチョット文句をいわれると、すぐに謝罪する。個人が個人に謝るのならともかく、国家が謝罪するのはおそらく日本ぐらいしかないでしょうね。 発展途上国への援助は意義があることですが、少し気前がよすぎやしませんかね。なにかというとすぐにカネの援助。カネだけが国際貢献だとは限らないでしょう。 日本人の情緒に誇りを持つ 2008年5月12日、中国の四川省で、 マグニチュード7.9の大地震が発生し、人的・物的に甚大な被害をもたらしました。 当時の日本の新聞に、ある一葉の写真が掲載されました。 整列した日本の救助隊員が頭を垂れて、母親と生後2か月の娘の遺体に黙とうを捧げています。犠牲者への心からの追悼です。 この写真がSNSで中国全土に配信されるや、多くの中国人に激しい感動をよび起こしたのです。インターネット上には日本と日本人への感謝の言葉があふれました。 「これが本当の日本人だ」、「ありがとう日本」、「この恩は忘れない」、「大嫌

シリーズ「日本人の品格」(第5回)

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「罪意識扶植計画」をはじめ、その後も「アメリカ的」なる文化・考え方などが次々と日本 に流入してきました。日本はそれらを無思慮に採り入れてきました。 たとえば、個人主義。 日本は、ほとんど単一言語・単一民族の国です。多言語・多民族のアメリカとは違います。日本は土壌が違います。 アメリカ的な個人主義は、和を基軸とする日本では、むしろ弊害を伴うことの方が多いのです。人と人とのつながりの中から生まれてきた日本語は、それゆえに繊細で豊かな表現力を持っているのです。 下記をご一読ください。 「他と区別し自立したものとして形成されている西洋人の自我は日本人にとって脅威であります。日本人は他との一体感的な繋がりを前提とし、それを切ることなく自我を形成します。(中略)非常に抽象的に言えば、西洋人の自我は「切断」する力が強く、何かにつけて区別し分離していくのに対して、日本人の自我はできるだけ「切断」せず「包含」することに耐える強さをもつと言えるでしょう。」 ( 注 ) 個人主義は地域社会の人びととのつながりを分断しました。多くの企業が実力主義を取り入れた結果、弱い者は容赦なく切り捨てられ、学校では先生が生徒に少しでも厳しく当たるとすぐに親がしゃしゃり出てきて文句を言い、家庭では親は子供を甘やかす。 また、たとえば、金銭至上主義。 カネをモウけるためなら何でもする。カネをカセいだ者が勝ち。近年、欧米や日本をはじめ先進諸国では、過剰に走る市場経済の行きづまりが目についてきました。アメリカの投資銀行、リーマン・ブラザーズの倒産は、その代表的な一例です。世界に大きな経済危機をもたらしました。 欧米の合理・能率・便利だけを果てしなく追い求めて自分の所有欲を満たすのが幸福なのだという考えは、これまた必ず行き場を失います。所有欲などはほんの一時の満足に過ぎません。 ここ数年、「ビットコイン」に代表される仮想通貨がもてはやされています。理論的に非常によく考えられた通貨システムのようですが、果たしてこれから先, 正常に機能していくのでしょうか。 生煮えの個人主義とやみくもの金銭至上主義とによって、日本語は傷つけられ日本人の心は殺伐としてきつつあります。日本と日本人が本来の姿を取りもどすためには、どうすればいいのかを、次に考えてまいります。 *(注)金谷武洋著「日本語は亡