シリーズ「日本人の品格」(終章)


セブ市にある日本食材店の「町屋マート」の外観。日本人ばかりでなく、欧米人もよく買い物にきています。ありとあらゆる日本の食材が手に入ります。興味のある方はインターネットでご覧になってみてください。


「アルジャジーラ」というテレビ局があります。本社は中東のカタールの首都、ドーハ。世界中のニュースを24時間流しています。


世界の国々のニュースをみていると、スマートホンが地球のすみずみにまで浸透していることに、今さらながらビックリします。
世界の実に多くの人びとが情報を共有することができるのです。しかしその反面、世界は徐々に均質化・均一化の方向に向かっているともいえます。

あっちの国でこんなことがあった、面白そうだからやってみよう。こっちの国では反政府デモで大統領が辞任した、じゃあ俺たちもデモをやって今の腐敗した政府を倒そう。あの国のあの服はなかなかいいな、マネをしてみようーーーー。

グローバリゼーション(国際化・世界標準化)とはよくいったものです。たとえば英語がますます「世界語」になりつつあり、どの国にも同じような文化が拡散しています。

日本では小学校から英語の授業を採り入れました。何のために?英語を「ベンキョウ」して将来の「国際人」を育てるために。どうしてこのような短絡的な結論を出すのでしょうかね。「恐れ入り屋の鬼子母神」
世界に通用する日本人を育成するためには、日本語と日本の文化を子供のころから徹底的に教えこむことです。外国語はそのあとでいい。

経済の問題にしてもグローバル化というお題目の下で、世界はドンドン合理化・効率化に突き進んで行くことでしょう。これはこれで理解はできます。人間の欲望には際限がありませんから。しかし、「腹八分目」にとどめないと危険です。

一例をあげます。イノベーション(技術革新)・テクノロジー(科学技術)が私たちの想像をはるかに超えて既存の産業を世界中で破壊しつつあります。
富は一極に集中されて低所得者や失業者が増大する。カネがない人ばかりで物も買えない。消費は激減し、産業も立ち行かなくなる。ひいては金持ち企業もやがては先細りになってしまう。大げさに聞こえるかもしれませんが、生存競争の始まりです。

チョット余談。仮想通貨に興じている人たちの顔の表情は、日本人・外国人を問わず、ほとんど全員がまるでロボットのように思えます。表情が動かない、ロウ人形のような能面のような、まるで血が通っていないかのような人間。

30年先か50年先か100年先かはわかりませんが、世界は大きく変容しているでしょう。例えば、中国。いつかは国営企業を整理清算せざるを得ない時がくるでしょう。ウイグル人差別やチベット問題も深刻です。経済は衰退し失業者の反乱により共産党政府は瓦解する。中国は間違いなく分裂するでしょう。朝鮮半島は統一されるでしょう。民族問題を抱えている世界中の国々は「核家族」ならぬ「核民族同一国家」に収れんされていくでしょう。

私たちの日本はどうすればいいのか

日本は世界で何があっても「動く」必要はありません。じっと静観していることです。
日本の基軸である「和」と「情緒」を見直し、豊かな日本語を大切にするのです。アメリカの洗脳教育の呪縛から一日でも早く抜け出して、グローバル化という得体のしれない風潮に踊らされることなく、SNSを盲信することもなく、かつての日本と日本人の本性に立ちもどることです。ふだんの私たちの行動をそのまま続けていき世界に広めていくことです。いささかもたじろぐことなく、自信と誇りを持つべきです。
やがて世界の混乱が鎮まったとき、日本は新たな世界の中で輝きを取りもどすことができるでしょう。(了)

ご多忙の折、ここまで読んで下さった方々に心からお礼を申し上げ候。

*参考にした本
「日本人の誇り」      藤原正彦:著  (文春新書)
「国家の品格」       藤原正彦:著  (新潮新書)
「閉ざされた言語空間」   江藤 淳:著  (文春文庫)
「日本語は亡びない」    金谷武洋:著  (ちくま新書)











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