シリーズ「日本人の品格」(第5回)


「罪意識扶植計画」をはじめ、その後も「アメリカ的」なる文化・考え方などが次々と日本
に流入してきました。日本はそれらを無思慮に採り入れてきました。

たとえば、個人主義。

日本は、ほとんど単一言語・単一民族の国です。多言語・多民族のアメリカとは違います。日本は土壌が違います。
アメリカ的な個人主義は、和を基軸とする日本では、むしろ弊害を伴うことの方が多いのです。人と人とのつながりの中から生まれてきた日本語は、それゆえに繊細で豊かな表現力を持っているのです。

下記をご一読ください。

「他と区別し自立したものとして形成されている西洋人の自我は日本人にとって脅威であります。日本人は他との一体感的な繋がりを前提とし、それを切ることなく自我を形成します。(中略)非常に抽象的に言えば、西洋人の自我は「切断」する力が強く、何かにつけて区別し分離していくのに対して、日本人の自我はできるだけ「切断」せず「包含」することに耐える強さをもつと言えるでしょう。」

個人主義は地域社会の人びととのつながりを分断しました。多くの企業が実力主義を取り入れた結果、弱い者は容赦なく切り捨てられ、学校では先生が生徒に少しでも厳しく当たるとすぐに親がしゃしゃり出てきて文句を言い、家庭では親は子供を甘やかす。

また、たとえば、金銭至上主義。

カネをモウけるためなら何でもする。カネをカセいだ者が勝ち。近年、欧米や日本をはじめ先進諸国では、過剰に走る市場経済の行きづまりが目についてきました。アメリカの投資銀行、リーマン・ブラザーズの倒産は、その代表的な一例です。世界に大きな経済危機をもたらしました。

欧米の合理・能率・便利だけを果てしなく追い求めて自分の所有欲を満たすのが幸福なのだという考えは、これまた必ず行き場を失います。所有欲などはほんの一時の満足に過ぎません。

ここ数年、「ビットコイン」に代表される仮想通貨がもてはやされています。理論的に非常によく考えられた通貨システムのようですが、果たしてこれから先, 正常に機能していくのでしょうか。

生煮えの個人主義とやみくもの金銭至上主義とによって、日本語は傷つけられ日本人の心は殺伐としてきつつあります。日本と日本人が本来の姿を取りもどすためには、どうすればいいのかを、次に考えてまいります。

*(注)金谷武洋著「日本語は亡びない」の中に引用してある「ユング心理学と仏教」河合隼雄の記述。

*上の写真:2018年の大晦日に村で「演芸大会」が開催されたときの村びと(見物人)の模様です。






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