神経過敏社会(2)


会津藩の教え

江戸時代、会津藩に日新館という藩校がありました。白虎隊も教えを受けていた藩校なのですが、ここに入る前の子弟に対して「什の掟」というのがありました。
そこにはこう書いてあります。

1つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
2つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
3つ、戯言を言うことはなりませぬ
4つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
5つ、弱い者をいじめてはなりませぬ
6つ、戸外で物を食べてはなりませぬ
7つ、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

そして、最後。

「ならぬことはならぬものです」

上記は、藤原正彦氏の「国家の品格」(「新潮新社」)からの抜粋です。

一読してどのように思いますか?
ここで特に重要な点は、「ならぬことはならぬものです」いけないことはいけない。理屈でもなく論理でもなく、ダメなことはダメなのだ、ということ。つべこべ言わずに、問答無用で、「ならぬことはならぬものです」といっている。

地域社会の中で、家庭で、学校で、大人や親や先生たちが、この教えを子供たちに徹底的に植えつけなければなりません。4と5も同様です。(その他の掟は今の時代には受け入れられませんよね)


大宅壮一というジャーナリストがいました。(生年:1900年ーー没年:1970年)
氏の言葉を引用します。

「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という趣旨のことを述べていました。

原典は「週刊東京」(1957年2月2日号)に発表した下記の論評です。

「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進化したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い」

この「一億白痴化」の「一億」の次に「総」の字がついて「一億総白痴化」という流行語が当時の日本を駆け巡りました。半世紀以上も前の言葉ですが、現在の日本の社会にも通ずる部分は大です。

なぜ「総」の字がついたのか。私たち日本人は体制に流されやすく、一人が右と言えば多くの人もまた右、左と言えば左。「総」は、日本人の集団主義心理を的確に表しています。

また氏は次のようにも指摘しています。

「書物を読む行為はみずから能動的に活字をひろいあげてその内容を理解する行為であり、それには文字が読めなければならないし、内容を理解するために自分の頭のなかでさまざまな想像や思考を凝らさねばならない。これに対してテレビは、単にぼんやりと受動的に映し出される映像を眺めて、流れてくる音声を聞くだけである点から、人間の想像力や思考を低下させる」

テレビの「白痴番組」が毎日垂れ流されていることは事実です。これはなにも日本ばかりではありません。一部の独裁国家を除き、世界中の国々でも同じようなことがいえます。

大宅氏が嘆いたテレビという媒体は当時に比べて現在は、質の高い教育番組、優れたドキュメンタリーや報道番組なども多く制作されています。wowwowなどの多岐にわたる放送媒体が多種多様な番組を発信し、私達の生活を豊かなものにしてくれています。とはいえ、大筋において氏の言葉は正鵠を得ているといってもいいでしょう。

テレビ時代を経てSNSを主役とする情報通信技術は凄まじいまでの進展を遂げつつあります。すべての日本人がSNSに毒づけになってしまっているわけでは勿論ありませんが、病的に偏執狂的に特定の人をSNS上で攻撃する人たちは、さしづめ「SNS総白痴」とでもいうべきでしょう。

下記は2020年6/26日号の「週刊朝日」に掲載された記事です。

「現代の世界はテクノロジーで駆動している。特にソーシャルメディアで話題になるもの、クリックされるもの、アルゴリズムが優先と決めるもの、過激な発言や政治陰謀などにどう対処するのかが大きな問題」(ヒラリー・クリントン--米国の政治家)

では次から、日本のSNSを取り巻く現状を眺めまわしながら、問題点と対策を考えていきます。



コメント

  1. 病気と定年退職がほぼ同時にやって来たので、テレビを見る機会が増えてしまいましたが、テレビってこんなにつまらないものだったのかと気づかされました。大宅壮一さんおっしゃた通りだと痛感しております。現にテレビの視聴率の下がりかたは尋常じゃない様です。これはSNSの影響も大きくあるようですが・・・・・
     SNSはこうして海外の方々とお喋り出来る便利さはありますが、悪意のある使い方をしている国や人間の方が多くなっているような気がする。中国、北朝鮮、ロシア等々の国をあげてのハッキングなどのサイバー攻撃は酷いもので各国の政府機関や法人が被害にあっているとのことです。
     個人でもSNSは顔を見られず言いたい放題、やりたい放題が出来るので大変な迷惑を被から人々が増える一方の様です。ストーカー行為など狂気を生み凶器となり恐怖、脅威となってしまうケースもあります。
     コロナの緊急事態宣言時には、自粛警察なるものが報道されていました。日本は憲法上の問題で、飲食店等は営業の自粛に止まりましたが、新聞もニュースも視聴しない愚か者か歪んだ正義感にら駆られた者たちが店を閉めろなどの嫌がらせの貼り紙をしたりSNS上で誹謗中傷を繰り返したりしてコロナ自警団などと呼ばれていました。アホ。

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