神経過敏社会(4)
昨年の4月に一週間ほど一時帰国しました。
ある日、電車に乗って車内の風景を眺めてみると、ほとんどすべての乗客が、スマートホンに目を落としていました。
新聞や本を読んだりしていた時代が嘘のようです。スマートホンさえあれば今の時代は生活に必要なかなりの部分の用件を満たすことができるようになったのですから、まあ、無理もないのでしょうね。
すでに公開した「日本人の品格」(最終回)でご紹介した山崎正和氏が、7,8年前に「文藝春秋」に寄せた小エッセイの中で次のように書いています。
電子情報は不毛の砂漠
「電子情報の世界の状況。情報検索は便利になって、たいていの知識の断片は検索サイトで一瞬のうちに入手できる。そのさいわかることは検索者が自分で知りたいと思ったことだけである。
新聞や雑誌や書物など、活字文化でものを知ろうとすれば、それにたどり着く過程で必ず別の情報が目に触れ、余分な知識が頭に入るのだが、その無駄が電子情報にはない。
自分の知りたいことだけに目を向ける。無駄や回り道のない世界は痩せた不毛の砂漠に変じてしまう。知の獲得と創造に関するかぎり、電子情報は不毛の砂漠」
アメリカのトランプ大統領がツイッターで重要な政治情報を発信するようになってから、世界中の政治家も真似をするようになりました。政治家の意見が非常に「軽く」なってしまった感があります。
そこらの売れない芸能人が、世間の注目を得るために、大して意味のないことをつぶやくようなものですね。
ただ単にツイートする(つぶやく)ということは、頭をさほど使うことなく、粗雑でブツ切りの文章を直截的に発信してしまいがちです。
下記は上記と同じ7,8年前の「文藝春秋」に載った小エッセイです。高階秀爾氏(美術史学者)の小エッセイです。
人文学の復権を
「ーーーーいずれの場合も、私を唖然とさせたのは、その言葉づかいの醜さである。自分の意見や感情を表明するのに、日本人はいつからこのような汚い「暴言」を使うようになったのだろう。何にせよ発言には最低限のマナーというものがあるのではないだろうか。
「人間性の感覚」を養い育てたものは、西欧の「ユマニスム」(人文学)の精神。人間は動物にはない理性と自由意志を持つ故に、その言動には「責任」が伴う。また、神の前では不完全な過ち得る存在である故に、他人に対する「配慮、寛容」を忘れてはならない。このような「人間性の感覚」のあらわれが「マナー」(礼節)にほかならない」
人の悪口は鴨の味
気の合った友達などと、会社の上司や自分の嫌いな相手の悪口をいうのは一種の快感かもしれません。この程度なら何の害もなく、むしろ気分爽快になって、人によっては明日への活力にもなることでしょう。
しかしながら、特定の見ず知らずの個人に、SNSで罵詈雑言を繰り返し浴びせる行為は、もやは犯罪といってもいい。
赤の他人に自分の鬱屈した感情のはけ口を見つける卑劣漢を根絶することは、残念ながら、不可能です。
自分がもしそのような被害者の立場になったらどうしたらいいのか、そして、SNSに誹謗中傷を繰り返す常習犯を一人でも減らすためにはどうしたらいいのか。具体的な策を次から考えてみます。
驚愕!今時の中学生・高校生のスマホの使い方・利用実態。
返信削除2020年4月28日
◎調べごとはgoogle検索ではなくYouTube検索
勉強でわからないことがある時もYouTubeで調べるそうです。
google検索で出てきた記事を読んで理解するよりよっぽど簡単
主にYouTubeを利用し、より視覚的聴覚的に情報を得るみたいですね。
◎SNSは本アカと裏アカで複数運用
特にInstagramの本アカ(本当のアカウント)では、盛れた写真や楽しい写真、あとで見返したくなるような写真をアップするそう。一方、裏アカではよりカジュアルな(盛れていな)写真を気軽にアップするアカウント。こちらは仲の良い友だちだけに公開し、自分をさらけ出す場所として利用しているとか。
このようにSNSも1人1アカウントではなく、複数運営することによって使い分けをしているようですね。
最近、デジタルアーツが発表したデータによると、SNSを利用している子供達の約40%、女子高生に至っては全体の約70%が裏アカウントを所有しているみたいですよ。
◎「り」と「ま」で会話が成立
「了解」には「り」、「マジ?」には「ま」というようにかなり簡略化された状態でやりと りが進むとか。
「り」と「ま」。はたから見たら何のことかさっぱり分からない(笑)間違えて打っちゃたのかと思いますよね。
これはネットで見たほんの一例であり、どれほどの数の調査結果かわかりませんが、もはや過去の人類とは異質な、SNS中心文化なるものが中高生の間で生まれていることが何年も前からあった様に思います。
これが中高生時期の一過性のものであれば良いのですが、如何やらそうではない様に感じています。この先、現状に変化をもたらすためには、親たちが大人たちが社会がどの様に向き合い成長させて行けるかがカギとなるのではないでしょうか。
SNSを悪者扱いするだけではこの急激に変化する世の中に付いていけない事がわかっているだけに難しいですよね。
西郷隆盛はもう出て来ないのでしょうかね。征韓論に負けてなどと戯けたことを日本の教科書に書かれていますが、維新の心情を損ない急激な西洋化だけが進んでしまっている事を危惧して下野したのです。
せめて、今の日本国と世界の未来を心配する筆者を応援しましょう。